恋々少女は夢を視る



嫌な夢を見る。同じ夢ばかり見ている。何が嫌なのか、何処が同じなのか。記憶は認識と同時に忘却される。忘却された振りをして黙っている。正体のわからない、じくじくと脳の裏から刺すような、不快を引き摺ってベッドを出る。冷えた足は真っ直ぐシンクへ向かう。渇いた口内に水を流し込む。喉へは落とさずに吐き出す。びしゃり。音はいつでも、見たことなどない誰かの飛び降り自殺を想像させた。
あたらしい空気を肺に取り入れる。彼女はあたらしい一日を再生する。

初夏で、日曜日で、練習試合だった。彼が見に来い見に来いとしきりに誘うのを、彼女がそうねそうするそのうちねとのらりくらり断り続けた、彼の所属する運動部の練習試合だった。強豪と名高いのらしい、その運動部の存在は在校生なら誰でも知っていたが、彼女はそのスポーツに馴染みがなかった。彼はそれを見せたがった。サッカーを見せたい、仲間を見せたい。彼女は少し、うんざりしていたのかもしれない。
初夏で、日曜日で、しかし彼女は学校に出向かなければならなかった。そういう用事があった。それは彼女の在籍する委員会に関係するもので、彼の練習試合とはまるきり関係がなかった。関係なかったが、用事は存外早々と片付いてしまって、この日、他にはもう予定がない。
平日のものとは色の異なる休日のざわめきだった。グラウンドの発する熱は素肌に未だ来ない季節を錯覚させる。観衆に身体を滑り込ませる。試合はもう始まっていた。たとえば彼が彼女に見せたかったものが、自身の活躍だとか、そういったものであれば。年相応の幼稚さと健全な自己顕示欲によるものであったなら、もしかして彼女はもっとはやくにこの場を訪れていたのかもしれない。試合のたび、応援にやってきて、展開に歓声をあげ、ときには差し入れを持ち込んだり、そういうことを。もしかしたらしていたのかもしれない。
ゴールを守りチームを鼓舞する彼の顔は彼女の見知らぬ顔だった。知らないけれど知っている顔だった。予想していた通りの顔をしていた。あの顔が欲しいとは、彼女は思わない。大勢が群がり求めてひたすら消費されるだけのものなど欲しくはない。私だけが望み与えられ対価を差し出す私だけのものが欲しい。少女のこだわりで、彼女はそう思う。
ベンチサイドに立つ、マネージャーと思われるジャージ姿の少女がちらりとこちらを見た、気がした。それはただの願望であったのかもしれない。小柄で素朴で可愛らしい少女だった。純粋そうな、けれど芯の強そうな。適度に日に焼け、すべすべとした柔らかい皮膚。まるい瞳。食めばしゃくしゃく新鮮で、きっと微かに甘いだろう、彼女は考える。青い林檎の匂いがするだろう。そんなことを考えている。
初夏で、日曜日で、見返りなく過ぎてゆくだけの休日である。

皮膚の隙間を眺めている。隙間から汗が染み出す一瞬を待っている。
薄明るいこの部屋にこもる熱は、あのグラウンドが発していた熱とはまるで違っている。この彼が流す汗はあの彼が流した汗とは別のものだ。他の誰も知らない私だけの?まさか。笑えるくらい不確かだ。けれどそれでいい。不確かで、頑なで、失望を孕んだ希望ばかりがあって、初めから終わりの見えている。はじめての恋とはそういう恋であるべきだ。これは彼女の望んだ恋愛のそのものであるはずだった。

?」

背中に回り下着を外す手を止め覗き込んでくる。まるい瞳。透き通るその瞳に笑顔の彼女が映っている。

「気持ち悪い」

言葉はすらりと舌に乗った。それは彼女が意図した言葉ではなかったが、自分の声に奇妙に良く馴染む言葉だと、彼女は思った。何かを掴みかけている。彼女の手は彼の肩を離れてそれを探っている。

「気持ち悪いよ、守くん」

彼のまるい瞳がますます丸くなる。彼女はまだ微笑んでいる。彼のきょとんとした表情を眺めて微笑んでいる。彼の感情が、彼女の言葉に、何らかの波を立てる様子はない。これまでも、これから先も、そんなことはあり得ない。表も裏もない。この身体に爪を立てても暴けるものなど何もない。彼女は思っている。私はとんでもないものに手を出した。これは恋愛などではない。そして一生、私に傷を残すだろう。

私は、いつのまにか、腐った庭園に立っている。腐臭の中に立っている。せり上がる吐息は喉を通りながら壊れ崩れ漏れた瞬間に爛れた空気の一部になる。鼻を突く異臭に、ひどい不快を覚えた。思い出す。この不快を知っている。探る手が、不意に答を得ている。つめたい感触に目を落とす。幼子の首くらいならば容易に落とせそうな鋭く大きな鋏を握っている。けれど手など下すまでもないだろう。いまにも腐り落ちる蔦と花。熟れて膨れて剥がれる果実。これは最初で最後の記憶。夢の正体だと、わかった。





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