潮風の匂いがつんと鼻についた。もしずっとここに暮らすことになれば――そんなことは万が一にもありえないのだろうが――この匂いは生活の一部と同じように溶け込んでしまうのだろうかと考えた。だけどむしゃくしゃしたので少し考えただけでもうすぐに他の事を考えようと思った。自分がありえないことを考えているのが嫌だった。しかもそれが彼女と関連することとなれば尚更だ。今日帰ると言うのに顔も見せに来ることもしない女のことを考えるのは腹が立った。俺は持っているボストンバッグを地面に置くとサングラス越しに海を見た。きっと二度と来ない。最後に見納めでもしてやろうかと思い、サングラスを外す。
 ここも昔と変わってしまった。そりゃあいつも少しずつでも変わっているのだろうけど、あまりにも微かに変わっていくだけだから全然気が付かない。昔と比べてだけ今との違いがわかる。ここは、がらりとした変化を見せずに、何年も何年もゆっくりと時間をかけて変わっていっている気がした。俺が知らないだけで、もっと早いスピードで変わっていっているのかもしれないが、それも今の俺にとってはどうでもいいことだ。俺は砂浜に踏み込み、ビーチサンダルに砂が入るのもおかまいなしにずぶずぶと海に向かっていった。あと一息で海水が肌に付く、というところで立ち止まる。あーあ、俺何やってんだろうな。さっさと空港行って、帰ろう。俺は置いてきたボストンバッグに向かいまた歩き出した。砂は乾いていたのですぐビーチサンダルから落ちていった。ボストンバッグを肩にかけなおすと、俺は空港への道をゆっくりと歩いた。



 まさか、あいつがやってくるんじゃないかとか、そういう奇跡みたいなことを考えた。



 ざら、と変な感触がしたのでビーチサンダルを脱ぐと、そこには未練がましく砂が残っていた。いや、未練がましいのは俺のほうだ。俺は上空から小さくなってしまった島々を見送った。