しゃぼん玉が飛んでいくのを見るのが好き。
透明な殻に包まれた世界を見るのが好き。
割れて消えるときの虚しい気持ちさえ。
私は時間さえあればしゃぼん玉を飛ばす。飛ばしているときは何も考えない。考えているのは手のひらの大きさの小さな世界のことだけ。だってそれしか考えられないんだもの。それしか考えられないようなときにしゃぼん玉を飛ばすんだから。
悲しいときには涙さえ出ないって言うのはやっぱり本当で、たとえどれだけ罵倒されても涙だけは流すもんかと堪えていたら、いざ涙を出して泣きたいときに涙がでなくなってしまった。私の涙は枯れ果ててしまったみたいだ。
言ってみればこのしゃぼん玉は私の涙だ。私の涙の代わりにするりと私の中から出て行ってくれる不純物のように。
屋根にまで上がってきてよかった、夜に屋根へ登ると誰にも気づかれない。夜風は気持ちいいし、しゃぼん玉は夜の世界を殻の中で構成する。きれい。
ああもう涙が出てくれれば楽なのに。もしかしたら殻の中の世界の美しさに泣けるかもしれない。
はしごを登る足音が聞こえる。誰だろう。そんなこと考えなくてもわかってる。はずなのに。
「ハンガリー」
やさしいやさしいその声の主はすぐにわかったけれど私はまだ振り向くことが出来ずにいた。ごめんなさい、あなたを見ると私は枯れてしまったはずの涙が一気に出てしまいそうなんです。私は迷惑かけたくないのに。
「ハンガリー」
やっと出た涙は熱くて、涙は枯れ果ててしまったわけではないのだと私はそのときにやっと気が付きました。罵声なんか、私に涙を流させる原因の一つにもなりやしなかった。だって私を泣かせられるのはやさしい声をした彼、一人だけなんですから。
「……何かあったら私に言いなさい。いいですね」
そういって去っていくオーストリアさんのやさしい足音は、湖のように繁茂して、しゃぼん玉と共にして消えた。