今から話すのは昔話だからね。だから君には全く関係の無い話だから、別に聞いてくれなくても構わないし、つまらなくなったら寝てくれればいい。
 彼のお話の始めはそういう風に前置きがされた。うん、と彼女が頷くと嬉しそうに微笑んで彼はゆっくりと口を開いた。


 昔、君が生まれる前の頃、世界には神様がいたんだよ。今の人間とは違ってね、皮膚が青かったりとか、動物のようだったりとかしていてね。ベースは人間なんだけれど。
 神様が人間と恋をすることは間違ったことじゃない。だけどその時だけは特にそのことに敏感になっていたんだよ。犬と猫が結婚したりするよりは、同じ種族同士が結婚したほうがいいっていうことだよ。
 恋愛ができないと思うと更に燃え上がるものでね。逢瀬をしては二人きりで時間を過ごしたりしたよ。
 ところがある日、密会場所に一人の男の神様がやってきてね。その二人を見ればすぐ周りに言いふらしたよ。人間界へ伝わることはなかったけどね、それはそれは神様のところでは大きな事件のように扱われてね。
 だから人間の方は記憶を消されたよ。そうして何ごともなかったかのように人間界へ帰されたよ。二人の逢瀬の記憶も、甘美な言葉も、全て消されて人間は祖国へ帰された。神様の方は消されることがなかったから、毎日泣きながら人間界を見下ろしていたそうだ。
 神様の記憶、というのは段々薄れていくんだよ。何百何千年と生きているからね。だから神々の記憶は尊い。それに神話なんて類のものは次々と忘れ去られてしまう。とても口惜しいことだ。私の記憶には鮮明なのに他ではどうしても思い出せないことなどはあるからね。
 神様も人間も同じように恋をしたりするんだよ。私はその時のことをとてもはっきりと覚えているよ。


「――長々とすまないね。これで昔話は終わりだよ。眠いだろう、寝なさい」
 そうゆっくりと間をおきながら話して、エジプトはベトナムの背中をぽんぽんと叩いた。布団にうつ伏せになりもぐりこみ、頭だけを上げていたベトナムはうーんとうめき声を上げた。
「エジプトサン」
「……なにかな?」
 楽しそうににいっと笑うベトナムを見て、エジプトは少し間を空けた。それからそう聞けば小首を傾げて見せた。ぱつぱつと雨の音がする。外では雨が降り出したのだろう。
「人間は、人じゃなかったんじゃないかな」
「……どういうことかな」
 エジプトはふっと目を細める。ベトナムはごろんと寝返りを打って仰向けになった。腕をまくらにするように後ろに回して天井を見つめた。その表情は微笑みを崩してはいない。
「別に、どうなのかなあって」
 エジプトは細めていた目を微笑ませるとベトナムの頭を2・3回撫でた。ベトナムは子供じゃないんだから、と言ったがエジプトは気にしなかった。
「さあ、もう寝なさい」
「教えてくれたっていいじゃないか」
 寝台の灯りを消そうとした時にベトナムが早口にそう言った。エジプトは灯りを消す手を一瞬ためらったが、それをものともせずに消した。
「うわ、暗い!」
「子供は寝る時間だよ」
 ふふふ、とエジプトは笑うのが聞こえた。ベトナムはうーんと唸り、それだけは教えてもらわないと寝れないなあと言った。
エジプトはベトナムの寝台からゆっくりと離れていったが、思いついたようにぽつりと呟いた。辺りは闇だが、暗闇に慣れた瞳からはぼんやりと影が映し出される。
「……彼はね、人間だよ。人間の男のひとだ」
 そう言うとベトナムはふうんと言い、ぼすんと勢いのある音が鳴った。ベトナムが枕に頭を押し付けた音だろう。つまんないのーと言う声が聞こえた。エジプトは廊下へと続く扉を開く明るくて少し目がちかちかしてきた。雨のさあさあと言う音が耳に懐かしい。